· 清少納言はどんな顔だったのか? 清少納言の容姿に触れた言葉. 枕草子にこんな記述があります。 まろは、目はたたざまにつき、眉は額ざまに生ひあがり、鼻は横ざまなりとも、ただ口つき愛敬づき、頤の下、頸清げに、声にくからざらむ人のみ思はしかるべき。
· 紫式部の顔を3dソフトで復元. それでは、紫式部の顔(すっぴん)を復元してみます。 これまでの考察をまとめると・・ 長めの鷲鼻で鼻先が下を向いている; 尖り気味のシャープな顎; 黒髪の長いストレートヘアー; 切れ長の細い目; 小さめの口; ということに ...
· 「清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人」。 これは紫式部が清少納言を評した有名な言葉です。これは紫式部が書いた日記『紫式部日記』の記述。「清少納言って本当に得意顔で偉そうな人」という言葉から始まり、一切ほめることなく清少納言こき下ろされてい …
· 紫式部と清少納言の顔を描き分けるコツを教えて下さい。 清少納言は学識のある家系出身で、知性高く、枕草子の中で自分の容姿や髪を自虐ネタで書くような、開けっぴろげな性格の女性。年増で髪が縮れて、かもじ(ウィッグ)を使っていると堂々と書いているようです。紫式部は下級貴族の ...
紫式部(むらさきしきぶ)は、平安時代中期の作家・歌人、女房(女官)。 作家としては、日本文学史を代表する一人。 正確な誕生年は特定できないが、近年の研究では、天禄元年(970年)から天元元年(978年)の間に生まれ、寛仁3年(1019年)までは存命したとされる 。
· にも関わらず、『紫式部日記』では清少納言を「得意顔」と猛烈バッシングをしています。 『紫式部日記』では「得意顔」だけではなく、「現実 ...
紫式部における女性像 〔はじめに∪ 紫式部日記の中に、同僚の女房たちが'式部に向かって'式部の の安房たちの、自分に対する感想を包みか-さず記している。
紫式部は、清少納言と直接には顔を合わせたこともありません。 それにもかかわらず清少納言を快く思わなかったのは、彼女の著書『枕草子』の存在が関係していました。
清少納言と紫式部は、宮中にいた期間が重なっていません。つまり、宮中で顔を合わせることはなかったのです。清少納言が仕えた定子は藤原道隆の娘ですが、関白の藤原道隆が亡くなると、定子の兄、弟が左遷されます。
同時代に活躍しライバルでもあった「源氏物語」の作者・紫式部が日記で「自分は他人よりも特別優れていると思い込んで、得意顔で偉そうに振る舞っている痛い人」と清少納言をこき下ろしているように、多少、才気走るゆえに性格に難があったのでは?
Love conquers all, except poverty and toothache.
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