「デタッチメント」は「~から離れる」という原義のように、社会や関わりから「離れる」という態度である。そんな生と作品を生きてきた村上春樹が、デタッチメントをつきつめてゆくなかで「コミットメント」へ変容してゆく。
こうして国民的作家、村上春樹は誕生した。 3 ねじまき鳥クロニクル ところが村上氏は1995年前後に自身の倫理的作用点を「デタッチメント」から「コミットメント」へと転回させる。
· 以前はデタッチメント(関わりのなさ)というのが僕にとっては大事なことだったんですが。 河合隼雄・村上春樹「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」岩波書店・1995年. この文章を読んだとき、はっきりとした違和感が自分の中にあったと思う。
村上 春樹(むらかみ はるき、1949年1月12日 - )は、日本の小説家、文学翻訳家。
その共通の問題を描く村上春樹の作品が世界で受け入れられるのは理解できる。 すると、「壁と卵」「デタッチメントからコミットメントへ」というのは、彼の望みか、その時の思いつきか、と考えざるを …
村上春樹が公の場で発言するようになった時期は、初期の作品群に漂っていたデタッチメント(関わらないこと)のスタンスが、やがてコミットメント(関わること)の志向へと転換し、後の作品群に顕著となる「根源的な悪との対決」に発展していく頃と ...
村上春樹作品を解説するキーワードに「デタッチメント」(関わりのなさ)と「コミットメント」(関わること)の言葉がよく使われます。 前期村上春樹作品では、主人公は、世間や社会と関わりのないように生きていきます。世間や社会がどうであろうと ...
初期の村上春樹の小説は、デタッチメントの小説であると言われる。 本人ですらそう言っている。 しかし、鼠三部作をとってみても、必ずしもデタッチメントだけの小説なんかでは無い。 きちんと読み通してみれば、コミットメントも見つかるものなのだ。
主人公と永沢はそれぞれにデタッチメントを確立しており、また、だからこそ、デタッチメントとコミットメントとの境界で悩まない。 デタッチメントを確立している永沢はクールで自立した考えを持っている。 「自分に同情するな」と彼は言った。
村上春樹作品が人々に受け容れられる理由についてのヒントは、河合隼雄氏との対談である『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(1996年)のなかの村上春樹氏自身の発言にある。 村上春樹氏は、自身の表現方法について、次のように述べている。「そのデタッチメント、アフォリズムという ...
Wisdom is knowing what to do next; virtue is doing it.
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